おいらが初めて日本から出たのは22歳のときのNY滞在でした。このときは安いチケットを探して、大韓航空便で出発しました。名古屋からソウルに飛び、乗り継ぎの時間を利用してソウル市内観光ツアーをしたりしたのだけれど、何しろNYが目的地なのに、「どうしてソウルのオリンピックスタジアム見学とかしなければいけないのだ?」と思いつつ知らない人達とバスツアーしていました。これも代理店の格安NY往復券に付いていたサービスなので、いやなら空港で時間をつぶしているという選択肢もあったのでしょうけれど、初めての海外でそんな余裕はあるわけがないですね。それでも、街並みやスタジアム見学には(日本の風景と大差なかったので)あまり深い印象を受けなかったけれど、(確か)ランチで食べた焼肉はおいしかったのを覚えています。どうも当時からそっちの方面には執着があったようです。
いよいよソウルからNYに出発となり、そのまま直行かと思っていたら、アンカレッジで給油で着陸。ここの空港では飛行機から降りて空港内で時間をつぶすことになったのだけれど、おいらの記憶に残っているのはビーフジャーキーを売っていたことだけです。ソウルにしても、アンカレッジにしても、今ならもう少し楽しめるんじゃないのかと思うけれど、頭の中にはNYしかないのでいたしかたないです。
NYでは日本で友達になったアメリカ人達から紹介してもらっていた、友人の友人や友人家族に大変お世話になり、大変充実した7週間を過ごしました。今回その内容は省きますが、最終的に「楽しかったけれど、おいらが探していた世界とはちょっと違った」という印象に辿り着き、その後イタリアにやって来ることになります。考えてみると、あれから2度とソウルには立ち寄っていないので、今更ながら、あの時もっと韓国料理を楽しんでおけばよかったなんて思います。その後は長距離の旅行でももう少し余裕を持って出かけられるようになったので、台北出張便でミラノから台湾に向う途中に乗り継ぎで立ち寄ったロンドンやモスクワでは、空港内でお土産を買ったり土地のものを無理やり食べたりしました。モスクワ土産のクリスマス飾りは、今でも毎年我が家のアルベロ(クリスマスツリー)にぶら下がります。